正しいことを言うときは少しひかえめにする方がいい
吉野弘著の「二人が睦まじくいるためには」というタイトルの詞歌集(美しい詩歌や文を集めたもの)がある。その詩の中に、「正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい」という一節があったのでブログに書いてみた。
祝婚歌
二人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい 立派すぎないほうがいい 立派すぎることは 長持ちしないことだと気づいているほうがいい 完璧をめざさないほうがいい 完璧なんて不自然なことだと うそぶいているほうがいい 二人のうちどちらかが ふざけているほうがいい ずっこけているほうがいい 互いに非難することがあっても 非難できる資格が自分にあったかどうか あとで 疑わしくなるほうがいい 正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい 立派でありたいとか 正しくありたいとかいう 無理な緊張には 色目をつかわず ゆったり ゆたかに 光を浴びているほうがいい 健康で 風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに ふと 胸が熱くなる そんな日があってもいい そして なぜ胸が熱くなるのか 黙っていても 二人にはわかるのであってほしい
確かに人に真実を言われると傷つきますよね。このことは若い時から常々思っていたことなのですが、たまたま吉野さんの祝婚歌に出てきたので取り上げてみました。真実を言う方の人がたとえ心を鬼にして言おうが、正義だろうが正義でなかろうが、親密な関係だろうがそうでなかろうが言われた方は傷つく。言われた方は、もしかしたら非難や攻撃に感じる人もいるかもしれい。もし自分の大切な人に真実を言うのであれば最新の注意を払う必要があるし、タイミングや状況の判断が必要だ。
親と子、夫婦、上司と部下、教師と生徒、恋人同士、友達同志などあらゆる人間関係に限らず、国家間や民族間なら戦争にもなりかねない。
それではどうしたら良いのだろうか?
考えてほしい。今まで生きてきた中であなたも経験してきているのではないだろうか? 真実を言われた時の驚きやショック、結構グサッときて傷ついたことや死にたいとまで思ったことなど。少なからずあるのではないだろうか? それとは逆に真実を言ってしまって相手を傷つけてしまった事、ショックを与えてしまった事など、一度や二度はあるのではないだろうか?
特に気を付けなければいけない時は、自分が興奮している時、ケンカの時、賛同者が多い時だ。数の論理で真実や正論、正義を振りかざしている時は当たり前のように自分を良しとしてしう。自分は正しい、間違っていないから言っても良いという論理になりがちだ。自分を疑わないのは危ない人だし始末に負えない。相手が傷ついていることなんてこれっぽっちもわかっちゃいないから最悪だ。
今は誰もがSNSなどで文章や画像、動画を発信できる時代。あなたの一言の言動が、正義だとしても真実だとしても正論だとしても、その一言で人を傷つけ、もしかしたら自殺に追いやることがあるということを是非考えてほしい。間違っていることを正すために声を上げる、発信するというのは決して間違いではないが、最新の注意を払うことを忘れてはならない。
この「祝婚歌」の詞は吉野弘さんが、姪御さんの結婚式に出席できなかった時に叔父として、お祝いに贈られた詩だそうだが、地球上の人が生きていく上で必要な言葉が詰まっている気がする。自分の言葉や行動をする前に、自分が本当に資格があるのか、して良いのかと自問自答してみる、常に自分を疑問視してみるということが書いてあるし、人間みな不完全なのだから完璧を目指さないほうが良いと書いてある。
車の運転をしている人はわかると思うが、ハンドルやブレーキには遊びがある。遊びが全くないとどうなるかというとハンドルなら2、3cm動かしただけで急ハンドルになって事故になるし、ブレーキなら2、3cm踏んだだけで急ブレーキになってします。それだけ遊びがないと危ないのだ。人間だとどうなるだろうか? 常に緊張して興奮状態。真実を実践し追い求め、自分も人も曲がった事は許せない。本人も疲れるし周りの人も疲れます。そんな人の側にいたくないですよね。
アメリカにも「真実ほど人を傷つけるものはない」(Nothing hurts like the truth.)。フランスにも「思いやりは友をつくるが、真実を言うことは敵をつくる」。イギリスにも「馬鹿とキチガイは真実を言う」と、どの国にも同じようながあるようです。とにかく真実の取り扱いには充分注意が必要です。まだまだ吉野弘さんの詩には、多くの生きる上で考えさせられるような詩がたくさんあります。ご興味の持った方は是非読んでみてはいかがでしょうか?